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グアテマラの概要

ここではどのようなことが問題だったのか、考えてみました。


グアテマラでは1954年ハコボ・アルベンス・グスマン大統領がユナイテッド・フルーツの土地の有償での接収を決めたことにCIAが介入し(PBSUCCESS作戦)「共産主義者」とされた約千人が殺害され政権が転覆された。1959年にはCIAがグアテマラ軍の反カストロ軍事訓練を開始するなど軍とCIAの繋がりはあったが、学生運動、農民運動、労働運動から数派のゲリラまで民主化から革命を求める勢力までが多数存在した。

その中で「反ゲリラ活動」として「ラ・マノ・ブランカ」(白い手)などの死の部隊が創設された。1962年には米グリーン・ベレーによる「対ゲリラ訓練」がイサバル県で始まった。1966年右派のフリオ・セサル・メンデス・モンテネグロ大統領が就任すると米軍事顧問のジョン・D・ウェバー大佐の意向でグリーン・ベレーも参加しサカパ県で約1万5千人を殺害した。

カルロス・アラーナ・オソリオ大佐が司令官となり「サカパの殺戮者」の称号を得た(ウェバー自身は1968年に逆にゲリラにより暗殺された)。それと同時に米国際開発局 (USAID) は公安局を通じてグアテマラ警察を訓練した。そして統合参謀本部第二局 (G2) や大統領参謀本部 (EMP) といった軍情報機関が活動した。1978年5月28日には農地解放を求めるマヤ系先住民の農民に対するパンソスの虐殺がなされた。1982年3月クーデターによりエフライン・リオス・モント大統領が就任すると6月に「民間自衛パトロール」(PAC, 自警団の徴用、90万人)を創設、以後マヤ系も含めた「自警団」による虐殺が続く。7月18日のサンチェス平原の虐殺など約440の村が村ごと虐殺を受けるなどし、内戦期間中の犠牲者は20万人に上るとみられている。

1996年アルバロ・アルス大統領によりゲリラとの和平合意が成立し、内戦は終結した。虐殺に対する国際的な非難や国内での取り組みは存在するものの真相究明に対する圧力が続いている。1998年4月26日歴史的記憶回復プロジェクト (REMHI) の責任者ホアン・ホセ・へラルディ司教が暗殺された。また虐殺への軍の関与を公式に認めるべきだと批判したオット・ノアク大佐が逮捕された。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月07日 20:03に投稿されたエントリーのページです。

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