「新しい」複雑性
どんな経緯があったかホントに興味深いですね。
新しい複雑性の生みの親とされているのはブライアン・ファニホウであり、彼もデビューから幸先が良かった訳ではなく、「遅れてやってきたセリー主義者」という不名誉なレッテルを張られた。後に、トータル・セリー、ポスト・セリーの欠陥を合理的に追及し、1970年代に「ユニティ・カプセル」、「時間と運動の習作第一?三番」、「地は人」、といった作品群で、譜面の隅々まで繊細に描きこまれた作風を樹立する。バス・クラリネット奏者として最高峰のレヴェルを維持するハリー・スパルナーイに「これどうやって演奏するの?」とまで言わせた作曲家は彼だけである。現在、ファニホウの作品はドイツの音楽大学の学生でも演奏する。「新しい」複雑性は演奏不可能の作品の概念と大いに関係している。しかしながらヘルムート・ラッヘンマンの音楽もドイツの現代音楽界では、構成的に新しい複雑性に含める音楽学者が多い。
この楽派が有名になった背景には、もう既に使命を終えていたものとされたダルムシュタット夏季現代音楽講習会から、ファニホウの影響を受けたイギリスの作曲家が次々とここからデビューしたことも大きな原因だ。ジェイムズ・ディロン、リチャード・バーレット、クリス・デンクはクラーニヒシュタイン音楽賞を受賞。またイタリアの作曲家のアレッサンドロ・メルキオーレ、マリオ・ガルーティ、アメリカの作曲家兼チェリストフランク・コックスも超難解なチェロソロの曲の自作自演で受賞し、影響がいよいよ国際的になってくる。
新しい複雑性に関った作曲家は、既存の音楽要素を極限まで細分化、多元化したグループであり、文章のみの説明は困難を越えて不可能である。多くの音源と楽譜に当たるしか理解は得られない。図示すれば容易な事項も、文章で説明すると無駄に凡長になるのもこの楽派の特徴であろう。が、楽派の全容はWOLKE社から刊行中の「21世紀の音楽美学」シリーズで、ほぼ掴む事ができる。楽派と分類される限り、ある程度の経験をもてば、新しい複雑性特有のテイストを把握することは難しくない。最新の世代は1976年生まれのアーロン・キャシディーまで網羅されており、編者のクラウス・シュテファン・マーンコプフはこの書物を「あくまで中間報告、最終形態ではない」と述べ、現在も続編を刊行中である。
日本で出版されている某著には、「新しい複雑性は所詮名人芸への憧れに過ぎない」と書かれている物もあるようだが、ヴィルトゥオーゾ性に関心を持った作曲家はマイケル・フィニスィーただ一人であり、他の作曲家の楽譜の音符の多さや演奏家の奮闘振りが名人芸に結びつくわけではない。ただし演奏や鑑賞の困難さは現代音楽史上最も大きな問題の一つである。
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